実は私、先日大きなミスをしてしまい、それ以来ずっと凹んでいます。。。
今までの過去の過ちをなんとか帳消しにする方法ってありませんか?
今日はこんな疑問に答えていきます。
- 簡単に過去を変えれる裏技
- 重要なのは心のリセット
- 事実は変わらないが、考え方を変えることで感情も変わる
簡単に過去を変えれる裏技
人は大なり小なりミスを必ずする生き物です。私だって数え切れないくらいミスをしてきています。ただ、ここで注意したいのは、やってしまったことをいつまでも引きずっていても仕方ないということです。しかし、同じ過ちは何度も繰り返してはいけない訳で、しっかり反省すべき点は反省し、改善すべきことは改善する必要はあります。
私がサラリーマンのときの思い出話をすると、会社でも大抵トラブルが発生した時は原因分析をして再発防止のために改善案を立て対策するサイクルを取り入れていました。もちろんこのサイクルはどの会社も取り入れていると思いますので一般的ではないでしょうか。
でも、サラリーマンの多くの人は、ぶっちゃけこのような考え方をまずしませんよね。(管理職クラスになって、はじめてその考え方になるのが多い傾向です。)
では一般的にはどんなふうに思っているのか改めてちょっと考えてみました。
1.他人(上司、会社、顧客)のせいにする。
2.仕組み(マニュアル、システム)のせいにする。
3.全く気にしないで、明るく騒いでその場を流す。
4.ひたすら逃げて時間に解決させる。
他にも多々あるかもしれませんが、一番なりがちなのは
『他人のせいにする』『仕組みのせいにする』です。
『指示の仕方が悪かったからミスをした。』『マニュアルの更新をしていないからミスした。』陰でよくこんな言い訳をする人が実際いました。
出世する気が無いサラリーマンだったりパートタイマーだったら、それで済みますし許されるでしょう。
でもそういう考え方の人って、プライベートで身内やご近所の付き合いで、何かトラブルがあったときも同じ発想をして周りのせいにする傾向になりがちです。
これだと幸せかというと疑問ですよね。
なので、幸せになるにはミスを受け入れて、このミスから何を学び今後どうする?という思考になるのが重要です。
ただ、いくら思考を切り替えてもミスをしたことは一生消えませんし、失った信用も取り戻すには多くの時が必要になるのは事実。
一般社会では、そのミスが命取りになって出世コースから外れるなんてことは当たり前。
でも、とある方法で過去は変えれるんです。
その方法について解説していきます。
重要なのは心のリセット
では、過去を変える方法について解説していきたいと思います。
過去を変える方法ですが正確には『起こった事実は変えられない。でも、考え方を変え、感情を変える』ということをやるだけです。
どういうことかというと、私たち人間は感情の生き物です。
- マイホームを建てたい
- 良い車に乗りたい
- 海外旅行に行きたい
- もっともっと稼ぎたい
- イメージした成果が出なくて悔しい
など、色んな感情が原動力となって日々会社に行って働いたり勉強したりしていますよね。
『こんなミスしてどうしよう、もう逃げ出したい!』を『あのミスをしておいて良かったわ~、そのおかげで今とっても幸せ!』と変えるだけです。
どうです?これで過去、変わりましたね。
事実を変えることはできませんが、考え方を変えさらに感情も変わりました。
これが狙いです。
事実は変わらないが、考え方を変えることで感情も変わる
人がミスをして気持ちが落ち込んでいる時のほとんどは、このように「事実」「考え方」「感情」という3段階で成り立っている場合が多いです。
「重大な仕事をミスした」という事実。
「私の人生はもうお終いかも」という考え方。
「不安である」という感情。
このような感じです。
これらのうち「変えられるもの」と「変えられないもの」を区別して考えてみます。
- 事実は、変えられません。
- 考え方は、変えられます。
- 感情は、半分だけ変えられます。
というふうに区別しました。この区別の根拠は以下のとおりです。
- 「重大な仕事でミスをした」というのは、実際に起こったことですので、客観的な事実です。これは否定のしようがありません。
- 「私の人生はもうお終いかも」というのは、自分の主観にすぎず、事実ではないのです。考え方はいくらでも変えることができます。
- 「不安である」という感情は、実際に自分がそう感じているのなら、事実です。しかし、「私の人生はもうお終いかも」と思っているかぎりは不安である、という条件つきの現象にすぎません。
感情を無理に「変える」ことはできませんが、考え方によって「変わる」ことはあります。そういう意味において、「感情は半分だけ変えられる」というふうに区別しています。
悩みを感じるというのは、不快な感情を持つということです。
「不安である」「悔しい」「悲しい」などという感情が不快だから、それをなんとか解消したいと思うのです。
「感情は、半分だけ変えられる」と言ったのは、無理に自分の感情を否定してはいけないという意味もあります。
感情を押し殺して自分の心をごまかすことでは、問題の解決にはなりません。
悲しいときは、声を上げて泣いても良いですし、悔しいときは、涙を流しながら床を叩いたっていいんです。
自分の感情をありのままに受け止めることが、自分と向き合う第一段階です。
そうしてはじめて、自分の力で問題を解決しようという意欲と主体性がわいてくるのです。
「だから、〜である」という考え方は、そのまま「だからといって、〜というわけではない」と、否定文に変えることもできます。
つまり「私の人生はもうお終いかも」は、「私の人生が終わるというわけではない」と言い換えることができるのです。
何を根拠にそんなことを言えるのか?と思われるかもしれませんが、「私の人生はお終いである」というのも根拠のない思い込みにすぎませんから、
客観的な事実ではない以上、どう言い変えても良いということがいえます。
そういう発想を持つことで、色々言い変えることができるようになります。
「外見が美しくないから、異性にもてない」は、「外見が美しくないからといって、異性にもてないわけではない」。
「口べただから、友達ができない」は、「口べただからといって、友達ができないわけではない」。
単なる言葉の上での言い変えにすぎませんが、考え方は言葉によって形づくられるのですから全然問題ありません。
また、言葉を言い変えて何度も何度もそう考えることを習慣づける以外に、考え方を変える方法ってぶっちゃけないんです。
自分が心から信じたことが、自分にとって「本当のこと」になるのです。
「だからといって、〜というわけではない」という言い方に慣れてきたら、次は「だからこそ、〜である」と、さらに一歩進んで、よい点を見つけるようにしてみると実感できます。
この仕事に失敗すれば、出世コースから外れるかもしれない。だからこそ、真剣勝負にやりがいを感じるのだ。精一杯やった結果がダメだったら、あきらめもつくだろう。失敗のないふわふわした人生に何の楽しみがあるだろうか
私は外見が美しくない。だからこそ、心と心で他人と触れ合おうという気になるのだ。外見だけで他人を惹きつけても、本当に好かれていることにはならないのだ
私は、不器用で口べたである。だからこそ、おべっかを使ったり、うまい言葉で他人をだましたりすることができない。私のそういうところを信頼してくれる人もいるはずだ
悩んだり落ち込んだりしたときには、「だからといって」と「だからこそ」のふたつのキーワードを思い出すことをお勧めします。
冷静に事実を受け入れ考え方を変えることによって、感情も変わってくるのです。
人生は、なかなか思い通りにはいきません。だからといって、それが不幸だというわけではないと私は思っています。
物事がなかなか思い通りにいかないときこそ、自分の意志が試されます。
悔しいことがあるからこそ、人は努力し、そこに進歩があるといえますよね。
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